*** 2005年9月10日(土)〜1日目、私は今、風に翻弄されています ***

 まさか再び旅に出る機会が、しかもこんなに早く来ようとは。
 ありがとう有休。ありがとうJALクーポン。

 そう。
 恥も外聞もなく、今回もわたしの旅の軍資金はその大半を出張の多い父から横領したJALマイレージポイント特典クーポンに負っている。
 言い換えると、現金はできるだけつかいたくない。世にもゼイタクな貧乏旅行である。ここにリッチな制約が生じる。

 1.東京と現地との往復の交通手段は飛行機でなければならない。
 2.現地での宿泊先は可能な限りJALホテルズの中から選ばねばならない。
 3.可能な限りJALホテルズのレストランで食事しなければならない。

 あれこれ検討した結果、今回は四国へ行くことにした。

 わたしは昨年夏にも国内を旅した。当時は実家にいたのだが今年はヒトリグラシの自宅からの出発になる。四泊五日も家を空けるとなると、冷蔵庫の中に腐るものは残しておけない。そんなわけで残り食材すべて使用の正体不明な料理をこしらえ、半分を胃の中へぶち込み、もう半分はタッパに入れて、朝一番羽田へと向かう。

 羽田から愛媛県の松山空港までの所要時間は一時間弱。しかし気流が悪かったためやや速度を落としての運行になり、到着が遅れた。
 わたしは幼少の頃乗り物酔いがひどかった。今もそれほど強いわけではなく、特にバスやタクシーの中で長時間文字を見ていることができない。電車でも進行方向と逆向きの席にはできるだけ座らないようにしている。
 それでも不思議と飛行機にだけは酔ったことがなかったのだが、今回は見事にやられた。
 これは気流のせいもあっただろうが、朝食べてきたあやしい食物が主な原因ではないかと思う。

坊っちゃん電車(展示品) 松山空港から道後温泉へ行けるバスがあったので、少し待ってそれに乗る。
 松山駅からは路面電車もある。松山は夏目漱石の『坊っちゃん』の舞台で、通常の路面電車のほかに同じレールを坊っちゃん列車というレトロ仕様のディーゼル機関車が走っている。バスが駅にさしかかったとき、ちょうど坊っちゃん列車が横を走っていた。

道後温泉本館入口 道後温泉駅に到着したのは11時過ぎだっただろうか。駅前にはマドンナのコスプレをしたおねえさんが二人いた。浮かれた一般客ではなく地元の観光案内の人である。
 昼間ではあるが、ここへ来たからには温泉に入らねばなるまい。というわけでまず向かったのは道後温泉本館。
 ここは1894(明治27)年に建てられたもので、建物は重要文化財。道後温泉随一の知名度を誇る老舗でありながら、内湯を備えた新しいホテル・旅館が増えていく中でおそらく唯一徹底した外湯(宿泊施設がない。銭湯)という姿勢を貫いている。
道後温泉本館三階個室 大きな浴場と小さな浴場、休憩室も二階大広間と三階個室があり、料金によって利用できる設備が違う。ここだけは奮発して、浴衣貸出しで個室休憩でき、皇室専用の浴場の見学・案内料も込み、さらに湯上がりに坊っちゃん団子とお茶が出てくるという、豪華なコースを選んだ。
 個室客のみが利用できる小さいほうの湯は高級感のある空間だった。わたしが入ったときには、ほかに関西エリアのどこかから来たっぽい若いお嬢さん三人組がいた。
 わたしは銭湯ユーザーである。温泉なのは羨ましいが大湯そのものは別に珍しくもなかったので入らなくてもいいやと思ったものの、大湯にはおそらく地元の人たちがいるはず。見てみたくなったので、のぼせ気味ではあったが大湯へ向かった。
 思った通り、大湯にはお風呂セット持参のばあさんたちがひしめいていた。大湯の壁には何やら古事記あたりに出てきそうな神様っぽい絵が描かれている。
 「東京あたりの人たちは、『伊予もんが通った後には何も残らん』と言いよる、けちだと思うとるけん……」
 脱衣場でそんな会話が聞こえてきて、おやと思った。語尾に「けん」がついているのは広島だと思っていた。お風呂セット持参ということは地元民のはずだが。「ぞなもし」は聞くことができなかった。

坊っちゃん団子 湯上がりに甘いものってどうなんだろうと思っていたけれど、坊ちゃん団子は小さかったのであっさり食べられた。
 部屋には道後温泉の案内もあったので目を通してみた。
 道後温泉は日本で最も古い3000年前の開湯といわれている温泉で、神話も残っている。
『神代の昔、大国主命(オオクニヌシノミコト)が病に苦しむ少彦名命(スクナヒコノミコト)を湧き出る湯で温めると、たちまち回復したといわれています』
 ……ん?
 大国主命といえば、出雲大社のお守りに入っている、あの神様ではないか。
 昨年にはいただきものの幸運のイルカともども一緒に旅をした仲だ。
 ちなみにこのラッキーコンビには、今回は家の留守番を任せておいたはずなのだが。
 こんなところにまで顔を出すとは、神様も心配性だなあ。

 また、案内ファイルにはさまれていた新聞切り抜きのコピーによると、道後温泉は宮崎駿アニメ『千と千尋の神隠し』の油屋のモデルである可能性が高いらしい。全国各地の温泉施設がモデルの名乗りをあげているが、有力候補である道後温泉本館は奥ゆかしく、その点についてはあまりアピールしていないという。
 確かに館内には小さめの油屋パズル絵が何の説明もなく壁に掛かっているだけだが。そういう記事のコピーが個室の各部屋にあるということを考えると、便乗商法に走らないだけで、モデルであるということはさりげなく主張しているのかもしれない。
 三階の一角「坊ちゃんの間」には松山時代の漱石ゆかりの展示がある。ぶらりと回って階下へ。
 皇室専用の浴場は又新殿(ゆうしんでん)という。このネーミングは古代中国の名君の故事にちなんでいるのだが、その人が殷の湯王な辺り、真顔のギャグを思わせる。

少彦名命が立ち上がった石 この地へやってきた大国主命の連れである少彦名命はミニサイズの神様だったらしい。そういえば大湯の絵でも小さく描かれていた。一寸法師のモデルになったと聞く。
 その神様が温泉で回復して「もう大丈夫!」と立ち上がった場所の石というのが、敷地内にこぢんまりと飾られていた。想像してみるとけっこうかわいい。

伊佐爾波神社 道後温泉本館を出て、すぐ近くにある湯神社と、平安創建の伊佐爾波(いさにわ)神社へ行くが、どちらも石段が結構な量で、この二社だけでかなりバテた。
 正岡子規の記念館や、四国お遍路の札所で国宝・重文を多数持つ石手寺(いしてじ)など垂涎の見どころもあったのだが、いずれも逃した。
 暑いだけならどうにか耐えられるけれど、さすがに湯上がりでは動けない。多少混むにしても温泉は周辺を巡ってからにするべきだったか。

喫茶 赤シャツ 松山には『坊っちゃん』登場人物の名を標榜した店がかなりある。
 「坊っちゃん」は複数あった。「山嵐」や「マドンナ」も確かあった。「野だいこ」と「うらなり」は見あたらなかったが、どこかの料理屋に「うらなり定食」というのがあり、非常に気になった。
 だが何より個人的に一番ヒットしたのは駅前の角にあった「喫茶 赤シャツ」。何という思い切ったネーミング。しかも定食屋や土産物屋ではなく喫茶店というのが心憎い。入ってみたかったが坊っちゃん団子を食した後だったので素通りした。

 道後温泉駅から路面電車に乗り大街道で下車。ようやく湯冷めしてきたので松山城へ。
 ロープウェイとリフトが選べたのでリフトにした。
 高台で自作の正体不明弁当を食べ、ひと休みしてから天守閣へ向かう。工事中だったので展望を楽しむことはできなかった。推定昭和四十年代後半制作のレトロな松山城紹介ビデオを眺め、外に出る。

 帰り道、天守閣入口の券売所の前の木に風鈴がつるしてあったことに気づいた。
 「私は今、風の中にいます」と書かれていた。

秋山好古 秋山眞之

 リフトで戻り大街道駅へ向かう途中、秋山兄弟生誕の地があったのでついでに寄る。
 秋山兄弟とは、陸軍大将で騎兵学校を創設した秋山好古(兄)と、海軍中将で日露戦争を勝利に導いた秋山眞之(弟)のことらしい。弟は正岡子規と小学校以来の親友だったそうだ。
 司馬遼太郎の『坂の上の雲』をきちんと読んでいればまた感銘もあったろうが、未読のうえ日本史に疎いわたしは「ふーん」で終わった。申し訳ない。

 大街道駅に戻る。駅前にどでかいラフォーレ(本店は東京・原宿)の松山店があり、何となく切なくなった。
 わがままなもので、地元近くに地方の名店などが出店してくれるのは喜ばしいのだが、その逆は嬉しくない。モノ流通の全国均一化が進んでいるようで怖くなる。
 偏狭のそしりをあえて受けよう、わたしはご当地限定系商法の賛成派である。旅人は「そこにしかないモノ」「自分の住む世界にないモノ」を旅先に求める。とりわけ国内の場合その傾向が強いと思う。
 大街道と銀天街はL字形につながる巨大アーケード街になっている。わたしはそこを歩いて松山ならではのものを探したが、これといって見つけることはできなかった。

 アーケード街を抜けて路面電車に乗り、夕立に降られながらホテルJALシティ松山へ駆け込む。
 JALホテルズというと高級なイメージがあるけれど、場所やプランによっては一般のビジネスホテル並の良心的価格で泊まれる。ジーパンとTシャツのバックパッカービジネスプランの予約をして行ったのだが、ホテルの人はどんなビジネスだとは突っ込まずにいてくれた。お陰で思ったより安く鯛めしを食べることもできた。
  

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